妻:もう何年も、夫は私の事を無視しているんです。
夫:おまえがもっとハッキリ話すべきなんだよ。
妻:私はハッキリ話してるわ。他の人は私の話をわかってくれるんだから、あなたワザと私を無視しているんでしょう。
夫:いや、君がぼそぼそ話すのがいけないんだよ。
私が2011年にオージオロジストとして仕事を始めた頃、自分が聴覚ヘルスケア以外に、パートタイムで結婚生活カウンセラーになるとは思ってもみませんでした。
しかし私は毎週のように、患者さんたちの極めて強烈な内輪揉めの会話に身を置いているんです。
これは私が仕事を通じて気付いたことの一つ。
夫婦関係が難聴によって影響を受けるということはあまり語られることがないですが、「難聴の影響は誰の目から見ても明らかにある」、ということです。
良好なコミュニケーションは全ての人間関係において重要
難聴を放置すると人間関係が影響を受けることに疑いの余地はありません。
冒頭の話のように、私は仕事の中で常に気付かされています。
それでも、2009年に実施された調査は強力な裏付けになっています。1500名におよぶ55歳の方々へのアンケートで、半数近い人が良く聞こえないために人間関係が影響を受けてしまっていると回答したのです。
コミュニケーションは良い人間関係の根幹をなすものですから、結果は驚くにあたりません。プライベートでも、仕事の関係でも、偶然出会った者同士でさえ、良い関係を築くためにはコミュニケーションが要です。こうなるとこの記事のタイトルは、「難聴を放置すると人間関係にどんな悪影響が出るか?」とすべきかもしれません。
その答えは、誰に尋ねるかによって変わります。難聴の方自身に尋ねるか、あるいは難聴者の家族や友人に尋ねるかです。私の大学院時代の経験は、双方の当事者が影響をどのように受けるかについて理解を深めてくれました。
難聴の身になって考える
オージオロジストになるために大学院で勉強していた時、指導教官が興味深い宿題を出したことがありました。彼は、難聴の方がどのように感じているかを(限られた時間でも)体験させようとしたのです。
- ●彼は私たちに3日間、寝る時以外はオレンジ色のスポンジの耳栓を付けさせました。
- ●最初の2日間だけは、良く聞こえなかったら大きな声で話してもらったり、繰り返してもらったりすることが許されました。
- ●最終日には、助けを求めることは許されませんでした。
私ははっきり覚えていますが、最初は「それほど不自由は感じないだろう。この耳栓は軽度難聴のシミュレーションにすぎない。これなら、言葉を繰り返して貰う必要など無いに違いない。」と考えていました。もちろん、それは大きな間違いでした。
教室を出ると、オレンジ色の耳栓をしていることで戸惑いはすぐに始まりました。しかし、それよりももっと困惑したのは、自分が友人や同級生に、大きな声で話して貰ったり言葉を繰り返して貰ったりしなければならないと感じたことでした。
会話が楽しみから苦しみに変わりました
2日目が終わる頃には、私は友人たちがイライラしていることが分かりました。それと、彼らは私が聞き逃すと、同じことを短縮して言ってくるようになりました。それはまるで、酷く遅れて出てくる字幕付きのテレビを見ているようなものでした。私は自尊心が傷つき、自分が邪魔者のように感じました。会話が楽しみから苦しみに変わってしまいました。
3日目には、言葉を繰り返して貰うことは許されませんでした。これが却って楽になると私は思いました。一日に何回も言葉を繰り返すように頼むことがなくなって、友人たちは安心するだろうし、私は自分が良く聞きたいと思った時にだけ身を乗り出せばよい、と思ったからです。しかし、またしても、これは大きな間違いでした。
どんなに騒音の少ない環境でも、会話について行くことは難しいものでした。私は自分が背景に溶け込んでしまって、聴力に頼る会話に加わらなくて済むように祈ったのを覚えています。
孤立を感じ、友人たちはイライラ・・・
その時に分かったのです。状況によっては空気になってしまっても悪くないときはありますが、それを親しい友人や愛する人と一緒にいる時に望むのは奇妙なことです。思うように会話に加われないと感じた時、私は苛立ちました。しかし、何よりも大きかったのは、私は切実な周りからの同情を感じました。軽度難聴でさえ、自分にこのような大きな影響を与えることを、今までは理解できていませんでした。
他のクラスメートと話してみると、私たちは皆同じ体験をしていました。友人は大きな声で話すのを嫌がることはないと思っていましたが、実際には友人たちは、私たち自身が罪の意識を感じるような反応を見せました。つまり、このような例に思い当たるのではないでしょうか?
- ●おばあちゃんが「学校はどう?」と聞いてきたら、最初は普通に答えます。
- ●二回目には同じことを短縮したバージョンで答えます。
- ●三回目に彼女が訪ねた時には、私たちは目を上に回転させて「もういいよ」と答えます。
このように、難聴の方は会話から疎外され、しかもこれが一日に何回も繰り返されるのです。
人間関係は2人の存在があってこそ
オージオロジストとして、私は難聴と人間関係について何を学んだでしょう?
それは、関係する全ての人が何らかの努力はしなければならないということです。
家族や友人は、愛する人が難聴になった時には接し方を変えるための努力を意識して行うことが必要です。小さな変化が大きな助けになることもあります。
例えば、話しかける時には相手の方を見ること、話題を変えたり大事なことを頼むときには相手の注意をひくようにすること、そして何よりも重要なのは、辛抱強く相手を受け入れることです。
難聴者側はどうでしょう?重要なことは、大きな声でハッキリ話すこと、イライラが頭をもたげる恐れがあることを意識すること(あなただけに生じている問題ではありません)、そして難聴に対処し、聴力を回復するために有効性が証明された方法があることを知ることです。まずは経験豊富なきこえの専門家(補聴器相談医)に相談することです。
最後に、私の好きなヘレン・ケラーの言葉を引用しましょう。オージオロジストとしての私には共鳴する言葉ですが、この強い意志を持った女性が身を置いてきた過酷な戦いを思うとき、更に大きな意味を持って心に響いてきます。
― 目が見えないことは人と物を切り離す。耳が聞こえないことは人と人をも切り離す。