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補聴器で取り戻した人生

ヨセフ・セニカさんは1929年の春、スロベニアで生まれました。1956年に、27歳の彼はアメリカンドリームを求めて船でアメリカに渡りました。しかし、アメリカに来る10数年前に、ナチスが彼の聞こえを永遠に変えてしまっていたのです。

 

 

ジョセフさん_1

手榴弾とヘアドライヤーに奪われたヨセフさんの聴力

ヨセフさんは運命の日の事をこう書いています:

 

「ドイツ占領下のある日、ドイツ軍は私たちの町を攻撃し始めました。ドイツ軍は若い男性を集めて、塹壕を掘らせるために前線に送り込もうとしました。私は数人の若者と一緒に山に逃げ込み、農家を見つけて小さな部屋に身を隠しました。しかしドイツ軍兵士達は私達を見つけ出し、2発の手榴弾を部屋に投げ込んだのです。」

 

事件の後、ヨセフさんは手榴弾が彼の聴力を傷つけたことを当初は認識していなかったと言います。

 

「山に隠れていた3日間、寒さと雨で私は酷く体調を崩しました。当時、私は手榴弾の爆発音が聴力にどのような影響を与えたのかを理解していませんでした。しかし、他の人からの苦情、私は彼らが呼んでも返事をしないということを聴かされて初めて、あの事件の前には聴力の問題は無かったことを悟ったのです。」

 

ヨセフさんは、長年にわたってヘアスタイリストとして働き、騒音にさらされたことが彼の進行性難聴の原因だと考えています。ヘアドライヤー、人の声、そして電話が鳴っている・・・絶え間ない騒音です。

 

「ヘアドライヤーが一番ひどい騒音を発生させました。私は長い時間働いて、この騒音にさらされ続けましたが、今までその事に意識を向けたことはありませんでした。」

 

難聴が如何に人生に影響したかを悟った時

振り返ってみると、ヨセフさんは自分の難聴をなかなか認めていなかったことに気づきました。彼は、顧客の話が聴き取れないのを、顧客がぼそぼそ話すせいにしていたり、周囲の騒音のせいにしていました。しかし最後には、ヨセフさんは自分が電話で話をすることが難しいと気づきました。そして、親友のメアリーさんに助けを求め、自分の難聴を自覚するに至ったのです。

 

メアリーさんは言います。

 

「ヨセフの難聴は人とのコミュニケーションが必要な場面、彼の人生のあらゆる部分に影響を及ぼしました。電話でも対面でも、ヨセフは人とのコミュニケーションで私の助けが必要でした。彼は引きこもりがちになり、抑うつ状態になりました。」

 

ヨセフさんは言います。

 

「難聴の為に私は恐怖を感じ、常に不安で、そして何よりも悲しかった。寂しく、孤立した感じがしました。私は人生で孤独を感じました。当時、私は補聴器があれば聞こえが良くなるのかどうか知りませんでした。」

 

彼が家に籠りがちになり、人と話すストレスや気まずい状況を避けている原因の殆どがコミュニケーションの不安でした。彼は、以前は好きだったテレビや講演会を避けるようになり、コミュニケーションを伴わない娯楽を選ぶようになりました。

 

ヨセフさんは言います。

 

「以前はほぼ毎日チェスをしていましたが、他のプレイヤーとコミュニケーションが出来ないことがわかってやめてしまいました。新聞を読む方が簡単でした。以前は好きだった講演会やプレゼンテーションを聴きに行くのもやめました。早く行って最前列に座っても、講演者が言っていることが分からなかったからです。」

 

さらに、ヨーロッパやアメリカにいる家族や友人をも避け始めました。電話で話すときに良く聞き取れなかったので、一番愛する人たちと連絡を取らなくなり、孤独で、ふさぎ込むようになりました。

 

メアリーさんは、社会的孤立と抑うつの他に、ヨセフさんの最大の闘いの一つが身の安全の確保だという事に気付きました。彼女は、彼が電話の音や、ドアベル、ドアのノックや火災報知器(すぐ隣にいなければ)の音に気づくことができず、コミュニケーションの障害が誤解につながることを心配しました。

 

メアリーさんは言います。

 

「ヨセフは、後ろから来る車に気付かず、車にはねられたことがありました。年を取るにつれて、以前のように一人で自立した生活を送ることが非常に難しくなりました。」

 

より良いきこえがヨセフさんの人生を変えた 

メアリーさんは2017年5月に「より良い聞こえの旅路コンテスト」(Better Hearing Journey Contest)の事を知りましたが、その時既に、スターキーが如何にしてシャークタンクのデイモンド・ジョンの人生を変えたかについて知っていました。

 

「コンテストの事を読んだ時期は、ヨセフの生活は難聴の為に非常に困難なところまで来ていました。」

 

メアリーさんは、ヨセフさんが会話を理解できない為に毎日の仕事を終わらせることが出来ないことに気付きました。ヨセフさんは人に言葉を繰り返してもらうのを頼むのを嫌がり、ますます引きこもりがちになり、落ち込んで行きました。

 

「ヨセフの難聴は人とのコミュニケーションが必要な場面で、人生のあらゆる部分に影響しました。私たちは二人とも、誰かの助けと補聴器を手に入れるべき時が来たことを悟りました。」

 

ヨセフさんの許可を得て、メアリーさんは「より良い聞こえの旅路コンテスト」に応募し、彼の経歴、難聴との闘い、そして良い聞こえを取り戻すことへの希望を披露しました。

 

「ヨセフは自分がこの世界に参加できていない傍観者になったと感じており、このことを大変悲しみ、ずっと絶望していました。彼に必要なのは今よりも良く聞こえるようになること、それだけです。それだけで彼の世界は変わるのです。」

 

ヨセフさんの代理で応募したメアリーさんは当選し、20177月にヨセフさんは新しいスターキーの補聴器をニューヨーク市聴覚協会PLLCからプレゼントされました。

 

補聴器のある生活は今までないくらい素晴らしい

ジョセフさん_2

 

ヨセフさんは2017年8月に様子を聞かれた時に答えました。

 

「私は、新しいスターキーの補聴器が大好きで、本当に愛している。聴力が正常に戻ったように感じます。私は誰の助けも借りずに独立してやりたいことをやり遂げることができます。スターキー補聴器のお陰で私は自信と安心感を取り戻しました。」

 

新しい補聴器を受け取った後、ヨセフさんはすぐに地元のシニアセンターに入会し、ボランティアを申し出ました。彼はすでに、その地域に住む2人と新しく友人になり、再びチェスやテレビを楽しみ、講演やプレゼンテーションに出席することを楽しみにしていると話しました。さらに、ヨセフさんは彼の友人関係を再開し、友人との会話を楽しむようになりました。

 

しかし、ヨセフさんが新しい補聴器を手に入れてから一番好きなのは、歩いて新しい場所を探索することです。

 

ハドソン川沿いを歩きながらヨセフさんは言います。

 

「かつては難聴の為に、一人になる場所を避けていました。自分の後ろに誰かがいても分かりませんでしたから。」

 

ヨセフさんはまた、外を探検する自信を取り戻したので、あまり外に出られない高齢者のために犬の散歩をボランティアで引き受けたいとも話しました。

 

メアリーさんは言います。

 

「ヨセフの人生が彼の元に戻ったことへの私の感謝は言葉では言い表せません。ヨセフは家族の大切な友人であり、私の年老いた父親、母親、ヨークシャーテリアのハッピーが病気になったとき、ヨセフは最後の看取りの時まで私たちと一緒にいてくれました。その頃、私は人生で一番のストレスに苦しんでいたんです。胸が張り裂けそうになる日々でしたが、ヨセフのおかげで心が救われました。ヨセフのために補聴器を手に入れて、それが彼の人生にもたらしたものを見ることが出来て、私が今までに彼に贈ることが出来た最高の贈り物だったと感じます。」

 

本ブログ記事はアメリカ本社所属のオージオロジストが執筆したものを日本市場向けにアレンジしたものです。

 

トピック: 補聴器, 難聴と健康, 体験談, はじめての補聴器